旅レポート
| 2025-02-06

900年の伝承の流鏑馬 見学報告

2024年11月3日、埼玉県入間郡毛呂山町(もろやままち)にある出雲伊波比神社で行われた流鏑馬を観に行きました。

当日の報告の前に、この流鏑馬の興味深さの背景について申し上げます。

 

「男衾三郎絵詞」

鎌倉時代後期に作成された絵巻物の傑作で、国の重要文化財。鎌倉時代の武士の生活を生き生きと描写しているとされ、しばしば歴史の教科書に掲載されます。継子いじめ譚に類型され、吉見二郎の遺児、慈悲が幸せな結婚に至るまでのシンデレラストーリーですが、和歌、管弦を嗜み、京都風の風流、風雅を愛した兄、吉見二郎(よしみじろう)と武勇一辺倒、野蛮で残酷な弟、男衾三郎(おぶすまさぶろう)の対照的な生き方を描いています。

 

出雲伊波比(いずもいわい)神社の流鏑馬(やぶさめ)
埼玉県入間郡毛呂山町の出雲伊波比神社で毎年春と秋に行われる流鏑馬。1063年、源頼義、源義家父子が、前九年の役の勝利を記念して奉納したのが始まりと言われ、平安時代に起源を持ちます。

出雲伊波比神社は、平安中期11世紀にこの地にこの地に土着した毛呂藤原氏と関わりが強く、現存の社屋は、16世紀に毛呂氏によって再建されました。

毛呂藤原氏は鎌倉幕府の御家人でした。

 

一方、「男衾三郎絵詞」に名を残す、男衾(現在は埼玉県大里郡寄居町の一部)や埼玉県比企郡吉見町は、いずれも、毛呂山町より20キロ程度の距離に位置します。

 

毎年11月3日の例大祭に行われる流鏑馬は、稽古・精進・出陣・合戦・凱旋という鎌倉武士の一連の生活場面を再現したものだと言われています。毛呂氏の領地であったと伝わる旧毛呂郷の人々によって執り行われ、15歳前後の地元の少年が射手としての「乗り子」を務めます。

 

あたかも、「男衾三郎絵詞」から武者が現れて、我々の眼の前で、当時の風景を活写するかの如くです。

 

埼玉県立嵐山史跡の博物館(埼玉県比企郡嵐山町菅谷757)では、男衾三郎絵詞(東京国立博物館蔵)の画像をもとに、「鎌倉武士の世界」「鎌倉武士の館」「鎌倉武士のくらし」「鎌倉武士の戦」「鎌倉武士の武芸鍛錬」などが分かる映像展示が、日本語、英語、韓国語、中国語及び台湾語の多言語にて、常設展示公開されているため、この資料を見学してから流鏑馬を鑑賞するのがお勧め。
埼玉県立嵐山史跡の博物館に展示の確認をなさる際の連絡先は
電話番号 0493-62-5896 ファックス 0493-61-1060
メールアドレス s625896@pref.saitama.lg.jp

 

因みに、「乗り子」の少年は弓のエキスパートでも、乗馬のエキスパートでもありません。一定のプロフェッショナルな集団によるのではなく、地元の子供が担い手となって、地域の人々が900年前の風俗を保存し、現在に伝える貴重な機会ですから、温かい声援を送ってはいかがでしょうか。

 

毛呂川へ禊(みそぎ)へ向かう乗り子たち

 

毛呂川での禊(みそぎ)

 

出陣の前の追酒盛(おいさかもり)

 

出陣準備の馬

 

正装した乗り子の的宿からの出陣と正装して屋根から餅を撒く支援者たち

 

夕的

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