旅レポート
| 2023-08-24

相州鎌倉今昔絵図 完成

中世都市鎌倉

源頼朝は鎌倉に幕府を開き、日本の歴史に新しい時代を画しました。中世武家社会の首都として栄えた鎌倉。三方を山に囲まれ、南に海が開けたその地形は、中世より変わりません。人々は限られた低地部の、山に入り組んだ「ヤツ」あるいは「やと」と呼ばれる「谷」に密集して暮らしていました。昔の地名に触れる時、かつて生きていた人々の記憶が蘇り、気配さえ感じ、歴史心がゆさぶられます。

 

相州鎌倉絵図

水戸黄門として知られる徳川光圀が編集させた「新編鎌倉志」の影響もあり、江戸時代に鎌倉観光の大ブームが興りました。名所旧跡を訪れる散策のツールとして作られた「相州鎌倉絵図」は大阪屋孫兵衛版など、50種類以上の版が刊行され多くの人に利用されました。

 

江戸時代の絵図の魅力と不便さ

江戸時代の鎌倉絵図は、歴史上の人物の屋敷跡、谷戸(やと)名や字(あざ)名など、現在の住所から消え、地図には載らない想像を刺激する情報に溢れています。しかし、これを手に街歩きをしようとすると、江戸仮名が読めない、地名が現在のどこを指すのか分からない、地理的なデフォルメが激しく場所の判別ができないなど、実際に利用するのは難しいと思います。

 

令和によみがえる「相州鎌倉今昔絵図」

江戸時代の絵図を「鎌倉事典 白井永二編」「鎌倉の地名由来辞典 三浦勝男編」「鎌倉の歴史 谷戸めぐりのススメ 高橋慎一朗編」「かまくら子ども風土記」「鎌倉 谷戸の記録 CPCの会編」などを参考に文字の判読、位置の調整などを行い、約330の要素を手描きのイラストで再現したのが、令和版「相州鎌倉今昔絵図」です。

 

「古絵図」で楽しむ鎌倉の「時間旅行」

神社仏閣は現存のものを掲載し、現存しないものは跡として、碑や札で示しました。現代の施設はいくつかの駅や博物館を除き、掲載していません。神社仏閣や名所旧跡を基準に成立した本図を手に現地に立つと、昔の情報がよみがえります。今昔絵図という名称の所以です。

頼朝が開いた武家政権の都鎌倉を歩く際に、「あの人はここに住んでいた、激しい抗争を繰り広げたあの人とこの人は実は隣人であった」などと生活の距離感の中で当時の人々のことを考えるのは興味が尽きません。周辺の地名も考え合わせると、歴史上の人物が生き生きと動き出すようです。

この絵図を片手に、豊かな歴史を語りかける社寺、山、谷戸、浜を巡り、多くの方々が時間旅行にお出かけになることを願って止みません。

 

島森書店、たらば書房、鎌倉_今小路ブックストア、鎌倉市観光協会にて販売中。
1部1100円(税込)。

 

相州鎌倉今昔絵図 プレスリリース

 

中世の騎士、ルイ君の鎌倉の旅の様子はインスタグラムにてご覧ください。

jikanryokosha

シェアする
メールで送る メールで送る
LINEで送る LINEで送る
SHARE SHARE
TWEET TWEET